出張先での雑記帖



博多
Hakata


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2014年 6月28日(土) 博多(福岡)

<2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」>

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。三人の天下人に愛され、恐れられた男、官兵衛。
その類いまれな知略と先見性で戦国の世を駆け抜けた知将・黒田官兵衛孝高(如水)は、
戦乱の世にあって「戦わずして勝つ」を実行した、奇跡の名将といえるかもしれません。

<黒田藩ゆかりの神社 光雲神社>

 光雲神社は、福岡藩の藩祖・黒田官兵衛と初代藩主・黒田長政の親子を祀る神社です。
神社の名前は、2人の龍光院殿(如水)、興雲院殿(長政)という法名から
一字ずつ取って名付けられたそうです。

  
※中洲/元祖博多ラーメン/博多天ぷらたかお

久しぶりにリフレッシュできました!



光雲神社
元々は福岡城内本丸天守台の下に作られた
神社だが、明治4年の廃藩置県により
黒田家が東京に移転した際、
現在の警固神社近くに移転されました。
その後、西公園山頂へと移ったそうです。



母里太兵衛の銅像
福岡藩士で黒田二十四騎の一人
母里太兵衛の像
右手に持つのは名槍日本号

像の下部には、
「黒田節」の歌碑が刻まれています

水牛の兜
福岡藩初代藩主・黒田長政が愛用した
水牛の兜は、もともと浦野半左衛門勝元という人
が持ち主で、勝元が長政に仕えるときに献上
したものと伝えられています。

長政はこの兜がたいそう気に入り、
よく着用したようです。

家紋「藤巴紋」
荒木村重が織田信長に謀反を起こし、
その説得にあたった官兵衛。
しかし官兵衛は説得する所か
村重の城に閉じ込められてしまいました。
窓の外から見える、日ごとに大きくたくましく
育ってゆく藤蔓(ふじづる)。
そんな藤蔓に励まされ、
つらい獄中生活に耐えていた官兵衛は、
村重の城から出た後、
黒田家の家紋を藤巴に選んだのでした。